耳鼻咽喉科

 

 

 

東京大学名誉教授

東京医療センター・臨床研究(感覚器)センター

名誉センター長  加我 君孝

 

 生まれた時にすでに難聴のあるお子さんの医療は21世紀になって大きく変わりました。21世紀といってもまだ10年を少し過ぎただけです。突然21世紀になって変わったのではなく、1970年代のコンピューターを用いた聴覚検査(ABRと略されています)の進歩によって、赤ちゃんの正確な聴覚検査が可能になったこと、それと同時に治療法の大きな進歩があったのです。それは、1980年代になって、補聴器のデジタル化が始まり、現在では福祉法でも交付されるようになったこと、1994年になって人工内耳手術が保険医療の対象になり、補聴器の効果が乏しい重い難聴のお子さんには、現在2歳代で手術を行うようになったことです。その結果として、早期発見・早期教育を受けた難聴のお子さんが補聴器や人工内耳に助けられながら聴覚の活用が著しく向上し、高い言語力を身につけ、普通小学校にもたくさん進学し、健聴児との共生が実現できるようになってきたことです。一方、聴覚の活用が人工内耳を装用しても不十分なお子さんは、聾学校で補聴器に指文字や手話を併用した教育により言語力を身につけることになります。
 私のこれまでの人生は、聴覚障害の医学の進歩と深いつながりがあります。
私の医師としての歩みは歴史的にこの領域の進歩とともに過ごしてきたといえます。私は1971年(昭和46年)東京大学医学部を卒業して、東大病院の耳鼻咽喉科で2年間研修をしました。もともと精神科志望で、脳と心に深い興味があり、それは今も変わりありません。耳鼻咽喉科に入ったのは私を熱心に誘う先生が現れたからです。その時に医師としての生涯のテーマを、米国の映画「卒業」の中の曲で、サイモンとガーファンクルが歌った世界的ヒット曲“Sound of Silence”にちなんで、「聴覚と言語と心」にすることにしました。さらに当時の耳鼻科ではまだ研究や臨床の対象となっていなかった乳幼児、あるいは大脳に関する医学的な問題に取り組むべく心に期したのです。
1973年(昭和48年)新設の帝京大学医学部耳鼻咽喉科学教室へ異動し、17年間勉強しました。その17年の間、耳の手術を鈴木淳一教授、小児の難聴と言語障害及び成人の脳血管障害による失語症を、現在も活躍されている田中美郷教授に学んだことは、現在の私を形成することにつながっています。当時、言語聴覚士が8名おり、言語療法の価値を知るに至りました。その間に米国のUCLAの脳研究所に留学し、聴覚と脳の研究をしました。

1992年(平成4年)、東京大学医学部耳鼻咽喉科学教室の教授として赴任することになり、活躍の場を東大病院に移しました。約16年間、卒業した時に心に描いた乳幼児と大脳の問題と耳の手術に縦横に取り組むことができました。私の外来は主に難聴による言語の発達に問題のあるお子さんが都内一円の病院から紹介され受診し、いつも小児科の外来のようでありました。東大に異動して初めて成人の人工内耳の手術を始めました。最初に一緒に取り組んだ中村雅一先生がフランス留学中の事故がもとで亡くなったことが、かえすがえすも残念なことでした。東大の任期が終了する平成193月末までに100例を超える人工内耳手術が行われましたが、その2/3が小児であるのが特徴です。補聴器の効果が乏しい場合は人工内耳手術が今や世界の常識です。それはその成果が素晴らしいからです。人工内耳に加えて、両側聴神経腫瘍により聴力が廃絶された患者さんに、脳に電極を移植する聴覚脳幹インプラントは、3例の患者さんに脳外科とともに行うことができました。東大病院では形成外科の朝戸裕貴先生とともに、小耳症・外耳道閉鎖症のお子さんの合同手術も開始しました。Auditory Neuropathyや聴覚失認についても取り組みました。

2007年(平成19年)41日に東京目黒区の駒沢公園隣にある東京医療センターに併設されている臨床研究(感覚器)センターのセンター長として赴任し、研究と同時に東京医療センターの耳鼻咽喉科で外来と手術を開始し、「幼小児難聴・言語障害クリニック」を立ち上げました。ここでの特徴は、経験豊富で信頼できる医師6名と言語聴覚士2名の強力なメンバーから成ることです。医療としての人工内耳手術は今や難聴の臨床では欠くことのできないものであるという認識のもとに、難聴児の2組の両親の強い希望もあり、人工内耳手術が安全に出来るように準備をし、2007年(平成19年)11月より開始し、既に平成248月で100例の人工内耳手術を終えました。そのうち90例が小児であるのが特徴です。これまで私と深いつながりがあり、教育をお願いしてきた富士台聴こえとことばの教室、川崎市立療育センター、心身障害児総合医療療育センター、目白大学クリニック、埼玉県立小児医療センター、日本聾話学校、筑波大学附属ろう学校、神奈川県の公立ろう学校などと協力関係を保ちながら、難聴児の未来のために最新の医学と最高の医療で貢献したいと考えています。毎年、難聴児に関する市民公開講座を企画し、その記録集を発行しています。

 私は小耳症についても、美しく自然な形状の耳介の形成と、新しく中耳・鼓膜・外耳道を作る、新しい手術を約10年前より獨協医科大学に赴任した朝戸裕貴教授と取り組んでいます。私の考えは、耳は2つあり、2つの耳を機能させるべく医療を行うことにあります。この2つの科による合同手術は既に150例、そのうち両側が30例で、世界で最も美しい耳が手術によって作られています。「2つの耳」という両側小耳症で手術を受けたお子さんの作文集も発行しております。

2001年(平成13年)より新生児聴覚スクリーニングが始まり、私どもの外来には、多数の新生児・乳幼児のお子さんが、御両親がインターネットで調べたり、他病院(施設)の耳鼻科のみならず小児科などからも紹介されて受診しています。経験豊富な医師と言語聴覚士と臨床検査技師によって、検査・診断・治療にあたっています。耳・聴覚・言語に関することであれば、私どもが対応いたしますので、紹介状があってもなくても受診していただけるようにお願いいたします。

 

 

 

 

 

<加我 君孝 名誉センター長 略歴>

生まれ  北海道美唄市
昭和46年 東京大学医学部卒業、東大病院耳鼻咽喉科入局
昭和48年 帝京大学耳鼻咽喉科
昭和58年〜60年 米国ジェファーソン医科大学、UCLA脳研究所留学 
昭和61年 帝京大学助教授 
平成4年 東京大学医学部耳鼻咽喉科学教室教授 
平成12年 東京大学医学教育国際協力研究センター センター長 
平成16年~20年 9月 日本耳科学会理事長 
平成19年4月 東京医療センター 臨床研究(感覚器)センター センター長 
平成19年5月~ 東京大学名誉教授
平成20年10月~ 獨協医科大学特任教授
平成21年4月~ 目白大学クリニック客員教授
平成22年4月~ 東京医療センター 臨床研究(感覚器)センター 名誉センター長
平成23年4月~ 国際医療福祉大学三田病院教授

 

主な刊行物

 

日本語版
 

 2012

 

 2009

 

 2009

 

英語版
 

 2009

 

 2009

 

 2009

 

患者さんへ説明用パンフレット、DVDなど

 

人工内耳用

 

 配布用パンフレット(2011)

 

 DVD(2010)

 

 DVD(2011)

 

小耳症・外耳道閉鎖症用

 

 配布用パンフレット(2011)

 

 DVD(2011)

 

 

両親への配付資料(聴覚・言語発達検査など)

 

 2011

 

 2011

 

 

厚生労働省研究事業による市民公開講座の記録集

 

障害者対策総合研究事業(感覚器分野)市民公開講座(年1回開催)

 

2010

 

2011

 

 2007

 

 2008

 

2009

 

 

難治性疾患克服研究事業(年1回開催)

 (両側小耳症・外耳道閉鎖症、TreacherCollins症候群の患者さんの会)

 

 

 

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